尖閣諸島問題を分かりやすく解説【台湾と中国が狙う理由】

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今回の記事は「尖閣諸島問題」です。

日本では尖閣諸島を実効支配しているため「領土問題は存在しない」という立場を取っています。

台湾と中国はそれぞれが「尖閣は我が国の領土」と問題化させており、特に中国は公船が領海侵犯するなど挑発行為が日に日に過激化しています。

その度に海上保安庁が対応しているのですが中国は民間レベルで尖閣諸島問題に関心が集まっているため関係悪化が進んでます。

一方の台湾は官民ともに友好ムードですが水面下で尖閣諸島という溝が存在している感じですね。

逆に言えば尖閣諸島で対立しつつ友好は深まるという不思議な関係です。韓国の竹島問題とは全く違いますね。

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そんな尖閣諸島問題ですが今回は分かりやすく「3つのテーマ」に絞って解説します。

  • 尖閣諸島の歴史
  • 尖閣諸島問題について
  • 尖閣諸島の現在
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尖閣諸島とは

まずは尖閣諸島について基本的な概要から説明します。

尖閣諸島とは5つの島「魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島」と3つの岩礁「沖ノ北岩、沖ノ南岩、飛瀬」の総称です。全て合わせて「尖閣諸島」と呼ばれています。

「久場島」を除いた4島3岩礁は国有化されましたが管轄は沖縄県石垣市になっています。

またかつての尖閣諸島には数々の施設があり人々も住んでいましたが現在は無人島です。一般人の入島は禁止されています。

尖閣諸島の場所

尖閣諸島の場所は東シナ海の南西部です。石垣島北方約130から150キロの位置に点在しています。

尖閣諸島の緯度経度
  • 北緯25度43分-56分
  • 東経123度27分-124度34分

と書かれても分からないので外務省から地図を拝借しました。

出典:尖閣諸島 | 外務省

縮小した「所在地図」で見ると尖閣諸島は日本列島からかなり離れているように見えますが実際にかなり遠いです。

東京と尖閣諸島の間に福岡がある、といった距離感ですね。

周辺地図を見ると「台湾の方が近いよね」と思うかもしれませんが、尖閣諸島に一番近いのは日本列島の最西端の島「与那国島」です。

また物理的な距離が領有権に関係するかというとそうでもなく、現代の国際法は「先占の法理」を優先しており、日本政府も国際法に沿った主張をしています。

先占の法理とは「領有の意思を持って無主地を実効的に支配すること」と定義されています。

先占の法理
  • 対象の土地が無主である
  • 国家による領有の意思表示がある
  • 国家による実効的な支配がある

簡単にいうなら「早い者勝ち」ですが揉めた時に先占の証拠があると国際裁判で有利になるのでとても重要です。

尖閣諸島の歴史

尖閣諸島の「先占の証拠」は歴史を学ぶと分かりやすいので簡単に解説します。ポイントは先ほど紹介した3点です。

  • 対象の土地が無主である
  • 国家による領有の意思表示がある
  • 国家による実効的な支配がある

尖閣諸島の歴史①初めて認知されたのはいつか

尖閣諸島の存在自体は昔から知られていました。記録として残っている限りでは琉球時代、明清朝時代です。

当時の沖縄は「琉球国」と呼ばれおり中継貿易で大きな発展を遂げました。中継貿易とは外国から仕入れた商品を別の国に売ることで、分かりやすく例えるなら「国レベルの転売ヤー」です。

その中で重要度が高かったのが朝貢貿易です。

「朝貢」とは中国(当時は明・清)の王朝に貢ぎ物を差し出すことで、それに対し皇帝から相応の品が下賜されるため朝貢貿易とも呼ばれています。

ついでに一般的な貿易もできるため琉球国にとって中国は大切な取引相手だったわけですね。

目印としての魚釣島

中国との交流は「福州」の港を利用していました。

「福州」と「琉球」の真ん中に都合よく「魚釣島」があったため当時は目印の島として使われていた記録が残っています。

出典:内閣官房|尖閣諸島

この資料はちょっと分かり難いのですが簡単に解説すると、「福州港」を出帆した船が「尖閣諸島の島々」を通過して「那覇港」に帰港していたことが読み取れる「琉球国」の資料です。

「明・清朝の使節団」も同じように尖閣諸島を目印としていた資料があるので、「中国も存在は知っていたけど航路上の標識みたいな扱いだった」ことがポイントです。

尖閣諸島の歴史②島を開拓した古賀辰四郎

次に、単なる目印島だった尖閣諸島を開拓した「古賀辰四郎」氏について説明します。

彼の業績があって「尖閣諸島が日本固有の領土になった」と言っても過言ではないので特に重要な人物です。

古賀辰四郎

「古賀辰四郎」は福岡県八女市のお茶農家に生まれますが三男坊だったため家を継ぐことはありませんでした。

家業は長男が継ぐのが常識だった時代ですが三男坊なのに「辰四郎」という名前に闇を感じますね。

生まれつき冒険心が強かった彼は沖縄でお茶の販売を思い付き海を越えて商売を始めるわけですがこれが大ヒットします。

事業拡大のため更に南下し「八重山石垣島」に支店を出したことが尖閣列島探険に繋がったと息子「古賀善次」さんが証言しています。

息子の「善次」は長男なのですが闇が深まるばかりです。

当時八重山の漁民の間で、ユクンクバ島は鳥の多い面白い島だという話が伝わっておりまして、漁に出た若者が、途中魚をとるのを忘れて鳥を追っていたというような話がよくあったそうです。おやじもそんな話を聞いたんですね。そこで生来冒険心が強い人間なものだから、ひとつ探険に行こうということになったんです。明治17年のことですがね。尖閣諸島は私の〝所有地〟です

「ユクンクバ島(ヨコンコバシマ)」とは「魚釣島と久場島」の2つの島を合わせた当時の呼び名です。

新天地で支店を開業したら「漁師が鳥を追いかけまわす事案が多発していた」ということなので、まぁ気になりますよね。

普通なら「とんでもない土地に出店しちゃっかもしれない」と心配になるところですが、この時代は玉置半右衛門が羽毛布団で一山当てたように「羽毛は高く売れる」という噂が広まっていた可能性が高いです。

そして商才ある古賀辰四郎が「漁師が魚より鳥を優先している状況」を見て何を思ったのか?想像できますよね。

漁師と一緒に鳥を追いかけまわす、ではなく「ユクンクバ島の鳥で事業展開」です。まさに事業家ですね。

実際に古賀辰四郎による尖閣諸島の事業は「アホウドリの羽毛採取」がメインであり「官有地拝借御願」にもアホウドリについて中心的に記述されたとあります。

尖閣諸島の歴史③尖閣諸島の編入

尖閣諸島を探検した古賀辰四郎は1896年に政府から開拓の許可を得て事業を拡大することになりますが、その前に重要なポイントが「閣議決定」です。

尖閣諸島の閣議決定とは1895年に尖閣諸島を沖縄に編入したことです。

尖閣諸島周辺で漁業が活発化され「水産事業者の取締の必要がある」と沖縄県知事が政府に申し出ていたことが背景にあります。

沖縄県からの願い出を受け、漁業者取締の必要性から、尖閣諸島(魚釣島、久場島)に国標建設を認め、沖縄県所轄とすることが閣議決定されました。 これにより、日本政府は、尖閣諸島を正式に領土に編入しました。内閣官房(pdf)

日本政府は閣議決定により尖閣諸島を沖縄県に編入しますが、その際に「他国の領土ではないか」を何度も調査しています。

諸外国はもちろん中国(当時は清)にも尖閣諸島が無主であることを確認していました。

初めて尖閣諸島が国家に編入されたので、1895年の閣議決定は尖閣諸島の領有権「先占の証拠」の2項目にあたります。

  • 対象の土地が無主である
  • 国家による領有の意思表示がある
  • 国家による実効的な支配がある

尖閣諸島での事業開拓

閣議決定の翌1869年に開拓許可を受けた古賀辰四郎は「30年無償供与」という破格の条件で尖閣諸島の借地権を手に入れます。

現在の日本では新しく法人を設立すると消費税が2年間免除されますが、借地権が30年免除とはすごい時代ですね。

古賀辰四郎が独自に探索しこと、そして尖閣諸島が全くの未開拓地であったことが理由とされています。

実際に尖閣諸島は人が住むには適していない環境でした。飲み水が確保できたのは一番大きな「魚釣島」だけで、他の島々では雨水を飲料水として利用したそうです。

かなり過酷な環境だったと想像できますが、逆に言えばそれ以上のメリットがあったわけですね。

古賀辰四郎による尖閣諸島の事業はアホウドリの捕獲がメインでしたが鳥の糞は肥料として販売できたそうです。周辺水域は水産資源の宝庫だったため海産物の生産なども手掛けていました。

開拓当時の魚釣島の様子

事業は魚釣島だけでなく久場島・北小島・南小島にまで拡大され最盛期には移民総数が248名・99戸にまで増え続け「古賀村」が作られます。尖閣バブルですね。

最終的にアホウドリは過剰乱獲で全滅してしまいますが今度は「かつお節」が大ヒットし、息子の古賀善次が引き継いだ事業は太平洋戦争が激しくなるまで続きます。

古賀善次(中央)と古賀村の人々

ちなみに二代目の古賀善次は「30年無償供与」の期限が切れたのち、国から尖閣4島を買い取ります。1932年から尖閣諸島は古賀家の私有地になりました。

事業家を通り越してヒルズ族までありますね。

以上が「古賀家」のサクセスストーリーですが、国家が貸した土地で国民が事業を展開し税収が入るなどの一連の流れが「先占の証拠」の最終項目を満たしたことになります。

  • 対象の土地が無主である(済)
  • 国家による領有の意思表示がある(済)
  • 国家による実効的な支配がある

「アホウドリの毛を毟りたい」「事業化して盛大に毟りたい」この熱き思いが尖閣諸島を日本固有の領土としたわけです。

古賀辰四郎が漁師に紛れて鳥を追いかけていたら尖閣諸島は日本の領土ではなかったのかもしれません。

古賀家による尖閣事業の撤退

順調だった尖閣諸島での事業は第二次世界大戦の激化により油などの配給が途絶えたため継続できなくなります。

古賀家と従業員達が引き揚げてから尖閣諸島は無人島になりますが、戦争が終わった後も古賀家は固定資産税を払い続けていたので土地の所有権が認められていました。

借地契約

古賀善次は久場島を「米軍の軍用地」として1958年に借地契約を結んでいたことが「尖閣所有権」の証拠として残っています。

尖閣諸島問題

尖閣諸島は「先占の証拠」によって日本固有の領土ということですが、それに異を唱えたのが台湾と中国です。

「親日で知られる台湾が?」と思うかもしれませんが今でも台湾は尖閣諸島の領有権を主張しています。

それまで一度も領有権の主張をは無かったのに1971年になって急にゴネ始めました。その理由を解説します。

尖閣諸島近辺に石油資源の報告

終戦後のサンフランシスコ講和条約によって日本は主権を回復しますが沖縄が返還されるのはまだ先の話し、そんな時です。

1969年に国連調査団の海洋調査によって「尖閣諸島周辺に推定1,095億バレルという大量の石油が埋まっている可能性がある」と発表がありました。

1,095億バレルと聞いてもピンとこないので調べてみるとイラクの埋蔵量に匹敵する量だそうです。

1994年には30億バレルと大幅に下方修正されることになりますが、石油資源の報告に飛びついたのが台湾と中国と言われています。

尖閣諸島の領有権を主張する台湾

1969年に尖閣諸島周辺に石油資源の発表があり1971年6月に台湾が尖閣諸島の領有権を主張、続いて同年12月に中国が主張してきたのが「尖閣諸島問題」の始まりです。

タイミング的に「石油資源」が目的のように見えますが、台湾の主張は「日本の植民地になる前から尖閣諸島は台湾の領土だった」です。

台湾に関しては李登輝氏の発言を引用した方が説明が早いのでwikiから抜粋します。

「おネエちゃんがきれいだからといって、私の妻だと言う人間がどこにいるのだ」「尖閣諸島周辺はよい漁場で、沖縄の漁民はかつて、同漁場でとった魚を台北に売りにきた。沖縄県当局は、日本が統治していた台湾の台北州に尖閣諸島周辺の管理を委託していただけ」「第二次世界大戦後、沖縄の行政権はアメリカが掌握し、その後、日本に返還された」「日本の自衛隊が、この海域の防衛に責任を持つことになったが、台湾の漁民は(尖閣諸島周辺で)操業することが習慣になっていたことから問題が発生した」「1972年になってから『尖閣諸島は中華民国領』と主張したことで、問題が発生した」「台湾が他人の場所に行って、魚がとれただけでも上出来だった。それを自分の『戸籍』に入れようとは、あまりにも幼稚」と、台湾が尖閣諸島の領有権を主張していることを皮肉ったという。wiki/李登輝

台湾が主張する背景には「植民地時代」があるようですね。

台湾は日本の植民地だった時代に尖閣諸島の管理を任されていたため自分の島と思っていたフシがあります。

1951年のサンフランシスコ講和条約によって日本は主権を取り戻しますが1972年の沖縄返還まで尖閣諸島はアメリカ管轄です。

約20年の空白期間で「尖閣諸島は台湾の領土」になってしまったと考えられます。

尖閣諸島の領有権を主張する中国

中国は台湾を「一つの中国」としているので記憶障害の台湾に話を合わせたとも考えられますが非常に狡猾です。

中国が尖閣諸島の領有権を主張した翌年1972年に日中国交正常化を妥結しますが、その時の話し合いの中で中国は「尖閣諸島問題は棚上げにしよう」と提案してきます。

日本は「尖閣諸島は紛れもなく日本固有の領土で問題は存在しない」という立場なので棚上げに同意していません。

「尖閣問題は棚上げだ」とよく耳にしますがそれは誤りです。中国側が棚上げにしているだけなんですね。

ドローンを飛ばされても、海上保安庁の船が激突されても、中国公船の居座りが連続100日を超えても棚上げ中ですし、日本政府にとっては「尖閣諸島に問題は存在しない」のです。

我慢大会と勘違いしているフシがありますよね。

現在の尖閣諸島

台湾と中国による領有権の主張が関係したのか分かりませんが、古賀家は1972年に尖閣諸島を栗原家に譲渡します。

栗原家とは埼玉の大地主です。「海底資源が眠っている尖閣諸島が売り出された」と聞いて購入したそうですが、それ以降の尖閣諸島の持ち主は栗原家になりました。

2012年、尖閣諸島が再び国有化

尖閣諸島が初めて私有地になって80年後、再び尖閣諸島が国有化される騒動が起きます。

きっかけは2012年4月の石原慎太郎元都知事による「尖閣諸島を東京都で買います」宣言でしす。覚えている人も多いのではないでしょうか。

極右と評される石原都知事が「島に船だまりを作り日本の有効支配を確たるものにするため」と言ったものだから中国は猛反発。

当時民主党政権だった日本政府が「平穏かつ安定的に管理する」という目的で2012年9月11日に国有化されます。

本音は「中国さま!石原が買うよりマシでしょ?」という意味ですが中国的には「何てことをしてしまったのだ」ですよね。

現在の台湾と尖閣諸島

現在、台湾と日本で尖閣諸島をめぐるトラブルはほぼありません。

「尖閣諸島が国有化されるぞ!」という動きをきっかけに1996年からダラダラ協議が続いていた「日台漁業協議」がスピード解決されたからです。

台湾が尖閣諸島の領有権を主張した背景には、周辺の漁業水域が関係していたため「日台漁業協議」の締結により日台尖閣問題は事実上棚上げにされている状態です。

「日台漁業協議」を分かりやすく説明すると「台湾は尖閣諸島周辺で漁業をしても良いけど領有権を主張するな」です。

でもたまに「尖閣は台湾のもの」という声が聞こてくるのは幻聴でしょうか。

幻聴ではりませんでしたが原因も分かりました。台湾も一枚岩ではなく「親中左派」がいて騒ぎを起こしているようですね。

国民党といった日本の共産党のような政党もあるため油断はできませんが、蔡英文政権の間は大きな問題はないと思います。

現在の中国と尖閣諸島

問題は中国。中国が問題です。

中国による領海侵犯は毎年激しくなり、当たり前に中国公船が尖閣諸島周辺海域に侵入する状況です。

日本じゃなかったら戦争に発展してもおかしくない状況ですが相手が日本だからここまで挑発してるジレンマですね。

当初は台湾と歩幅を合わせる、海底資源を狙っている、など中国が尖閣諸島を奪いにくる理由は色々言われていますが、現在の最も有効な説は「東シナ海の掌握」そして「太平洋進出」です。

東シナ海は習近平が掲げる「一帯一路」の重要な拠点になっているため掌握したい海域なんですよね。

視点を変えると中国をすっぽり覆うように日本と台湾が覆いかぶさっているのが分かると思います。

中国が太平洋に進出するには「台湾」「尖閣諸島」「沖縄」などが非常に邪魔なわけです。と同時に、沖縄で「米軍基地反対!」「沖縄独立!」「アベガー」と叫んでいる人達の正体がこれで分かると思います。

対中強硬姿勢をとるアメリカが台湾と距離を縮めている理由もこういった背景が関係しています。

アメリカの尖閣諸島に対する主張

尖閣諸島についてアメリカは「日本の領土だけど首を突っ込まない」というスタンスを貫いてきました。

戦後からつい最近まで一貫しておりトランプ政権発足後も変わることがなかったのですが「米中争い」の過激化に巻き込まれる形で流れが変わります。

シュナイダー司令官はネット会見で、「現状に対する米国の日本政府支援へのコミットメントは100%確固たるもの」とし、中国船はこの海域に出入りしており、これは日本の統治に挑んでいるとみていると話した。米軍は監視支援可能

今まで中立的な立場だったアメリカが「日本を支援する」と明言しました。アメリカは本気で中国共産党を潰す気でいるため棚ぼた的ではありますが日本にとってはこれ以上ない朗報です。

これでも日本政府は「問題は無い」と言い張るのでしょうか。

尖閣諸島の真実まとめ

尖閣諸島と問題について「簡単に」と言いつつ長くなってしまったのでここでまとめます。

尖閣諸島は国際法上の「先占の法理」に基づき日本固有の領土ですが、台湾と中国がそれぞれ領有権を主張しています。

その理由は「尖閣諸島周辺の石油資源」とされていますが現在ではそれぞれの思惑があるようです。

日本の立場は「尖閣諸島に問題はない」です。それが理由で自衛隊が出動できない可能性もあります。

台湾は「日台漁業協議」によって実質棚上げ状態になり、中国は年々挑発行為が過激化して解決の目途は全く立っていません。

アメリカが明確に「尖閣諸島は日本の領土」としているため「米中争い」の流れに左右される可能性が大きいです。

以上、長くなりましたが最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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